参照:スナップアップ投資顧問

三菱銀行

1993年、複数の米国メディア企業によって、米映画大手「パラマウント」の買収合戦が展開された。この際、融資銀行団の幹事に名乗りをあげる邦銀が相次いだ。ゴア副大統領の提唱する「情報スーパーハイウエー」構想をはじめ、マルチメディア市場では将来、巨額の資金需要が見込まれた。

1993年10月初め、パラマウント買収を目指すCATV大手バイアコム向け融資の中核銀行団に、三菱銀行が先陣を切って融資応諾(コミットメント)を表明した。これについて、邦銀関係者の間では「三菱銀行が攻勢に転じた」などと驚きの声が上がった。

JPモルガンなど3行が主幹事

三菱銀は米大企業向け融資の利ザヤ縮小による採算性の悪化を懸念していた。これまで多額の融資応諾には慎重姿勢を続けてきた。

バイアコム向け買収融資は、大手米銀JPモルガンなど3行を主幹事に編成した。中核20行のうち、2億ドルの融資枠を設ける幹事には、邦銀から三菱銀行と三和銀行(現:三菱UFJ銀行)、東京銀行(現:三菱UFJ銀行)、日本興業銀行(現:みずほ銀行)が加わった。

1980年代後半の買収ブームと異なる

CATV会社を軸にした企業再編は、企業を商品のように取引した1980年代後半の買収ブームと異なる側面 があった。ソフト製作から消費者への供給まで、双方向のマルチメディアを目指す「戦略的な垂直統合」といわれた。

邦銀にとっても、戦略性が強い分だけ、買収融資にとどまらず設備拡張向けのプロジェクト融資や、日欧を巻き込んだ業務にビジネス機会が広がるという期待があった。

バンク・オブ・カリフォルニア

三菱銀行には先行投資先もあった。バンク・オブ・カリフォルニアだ。略称は「バンカル」。不動産関連など不良資産の償却負担で赤字を続け、リストラクチャリング(事業再構築)に苦闘した西海岸の子会社だ。

バンカルは三菱銀が買収する前の1970年代後半、CATV産業の草創期に通信産業融資グループを作った。1993年には上級副社長のポール・ゲンガー氏の下に8人の専門スタッフを擁した。CATV向け融資実績では米銀中で16位になった。資産規模に比べ、この分野の拡大ぶりが目立った。

三菱銀行の積極転換の背景には、バンカルとの連携による業務拡大を狙えることもあった。

ユニオンバンク

バイアコム陣営の邦銀では、東京銀行(現在の三菱UFJ)もカリフォルニア州子会社のユニオンバンクに通信・メディアグループを抱えていた。ユニオンはバイアコムがパラマウント買収に乗り出す前から、主取引行のひとつだった。

バイアコムに対抗するテレビショッピング大手QVC側には、日本長期信用銀行が米欧加の大手銀5行とともに共同主幹事に入った。

長銀

長銀がメディア向け業務に取り組み始めたのは、1980年代半ばだった。映画など「娯楽」ビジネスをカバーする専門スタッフをロサンゼルス支店に置いた。QVCの主幹事に選ばれたのは、急成長する前から取引を維持してきたからだ。

長銀はQVCと並ぶ大手テレビショッピング企業であるホーム・ショッピング・ネットワーク(HSN)との取引関係も深かった。

1993年3月の長期融資の借り換えでは、銀行団の主幹事を務めた。HSNも取引を始めた当初は小さな会社だった。多くの訴訟を抱えていた。確かに融資するのは怖い面もあったという。しかし、伸び盛りの会社である点を重視した。

アメリカの大手銀

一方、アメリカの大手銀行は、通信・メディア関連融資の専門部隊を設けているところが多かった。

JPモルガンは「先端テクノロジー・グループ」と呼ぶ12人の専門バンカーが業界を担当していた。合併・買収(M&A)や証券業務部門と連携し、バイアコムの社債引き受けや、英メディア王だったマクスウェル傘下の出版会社マクミランを米パラマウントが買収する案件も仲介した。

融資焦げ付き

大手米銀に共通するのは、メディア再編を機会に総合的な収益を狙う体制だ。

1980年代後半のLBO(買収先の資産を担保にした借金による買収)融資の行き過ぎは、問題になった。R・H・メーシーの会社更生法適用による融資焦げ付きなど、多くの教訓を残した。

資金繰り予想システムに対する過信

当時普及したのが、買収後5年先まで損益状況やバランスシート、資金繰りをシミュレーションする情報システムを使った与信審査だった。様々なシナリオに基づいて買収先企業の与信力をぎりぎりまで検討したと過信することで、逆に危ない会社にまで貸してしまった例があった。

株式交換が中心に

1990年代前半のM&Aでは、企業側も銀行も負債比率の高い買収には慎重になった。株式交換を中心にした形に変わった。

借金負担の軽さを重視

融資判断には将来の業績の読みもさることながら、借金負担の軽さと出資企業の広がりが重視された。

銀行団の顔触れも、大手邦銀が横並びになった1989年のタイム・ワーナー向け融資に比べ、多様化した。