【有宗良治氏】 フジ社長就任 | 経営再建 | 寺町博氏の死去 | 取締役として招かれた | 上場準備室長に就任 | 右腕:社長室長 | 社長在任中に株主が変わる | フジフューチャーズ退任 | 有宗良治氏の略歴 | 寺町博氏とは |
フジフューチャーズ社長就任:2012年7月
有宗良治氏がフジフューチャーズの社長に就任したのは、2012年(平成24年)7月である。フジフューチャーズとは、商品先物投資の会社だ。2021年に日産証券に事業を丸ごと売却し、事実上、消滅・廃業した。
参考:https://kabu-blog-ranking.com/arimune/
この前月の6月26日の株主総会にて、取締役専務(管理部長)に選ばれていた。その翌月、社長に就任した、ということだ。
参考:http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2012/050.pdf
経営立て直し
有宗良治氏は社長就任後、経営体制の刷新に乗り出した。
有宗氏が社長に就任した後の2012年(平成24年)8月10日、フジフューチャーズは寺町博氏の妻を相手取り、裁判を起こした。
この妻は、フジフューチャーズの取締役副会長であった。つまり、オーナーであり、社長だった夫に次ぐナンバー2だったのだ。しかし、この時点では取締役を退任していた。
訴えによると、この妻は取締役時代に、善管注意義務・忠実義務違反を犯したという。そして、裁判では、1億2000万円の損害賠償を求めた。
このほか、妻とフジフューチャーズは、取締役の選任をめぐっても、係争に突入していた。
参考:http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2013/050.pdf
寺町博氏の死去(2012年9月11日)
その後の2012年9月11日、寺町博氏は死去した。享年88歳だった。死因は、大動脈弁狭窄(きょうさく)症だった。
参考:https://www.stechoriba.com/z5001.htm
死亡時点で、寺町博氏が89%の株主だった。残りは妻が保有していた。株主はこの2人だけで100%近くを占めた。
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【経緯】2005年に取締役として招かれた
そもそも有宗良治氏は、フジフューチャーズに取締役として招かれた。
2005年3月のことである。
参考:https://xn--cck2b4ab6a5ec4139ds7f3z9ahn5guegnz4b.com/#arimune
招いたのは、当時社長だった寺町博氏である。
そして、2005年6月、取締役から常務に昇格した。
上場準備室長に就任
2006年(平成18年)6月の株主総会では、有宗良治氏は、上場準備室長に就任した。肩書きは、「常務取締役・社長室兼上場準備室長」となった。
つまり、既に2つの会社を上場させていた寺町博氏は、フジフューチャーズについても、上場を本気で考えていたのだ。その責任者として、有宗良治氏を指名したのだ。
20億円の増資
このときの株主総会では、大幅な増資を行った。20億円という大規模なものだった。
増資の出資者は、寺町社長が10億円、寺町社長の資産管理会社の日研産業(東京都品川区)と寺町社長の親族の資産管理会社であるサングリン(横浜市)が5億円ずつだった。うち10億円を資本金として組み入れた。資本金を22億1000万円になった。
参考:http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2006/050.pdf
右腕:社長室長
有宗良治氏は2007年に専務に昇格した。社長室長を兼ねた。つまり、寺町博氏の右腕となったのだ。
2009年には、フジフューチャーズに執行役員制が導入された。取締役は寺町博氏や妻ら親族で埋められた。有宗良治氏らはいったん取締役を外れ、執行役になった。
この「親族体制」が2012年6月にガラリと変わる。親族以外の人たちで構成する構成する経営チームへと刷新されたのだ。
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社長在任中に株主が変わる
有宗良治氏がフジフューチャーズの社長をしている間、寺町博氏が保有していたフジフューチャーズの株式89%は、息子の寺町彰博氏に相続された。
なお、寺町彰博氏は、博氏が創業した上場企業THKの後継社長である。二代目として見事に会社を発展された優秀な経営者であった。
参考:https://furukawakiko.com/news/
しかし、どういうわけか、寺町彰博氏がいったん保有したフジフューチャーズの株式は、未亡人(妻)に移管された。その結果、未亡人が100%近い株主になった。
退任時期:2015年6月
有宗良治氏は2015年(平成27年)6月5日開催の株主総会にて、社長を退任した。
結局、社長を3年間務めた。
後任の代表取締役社長には別府圭一氏が就任した。
そして、取締役(非常勤)として、未亡人が復帰した。
その他の役員も総入れ替えとなった。
有宗体制を支えていた以下の主要経営陣も、退任した。
専務:計盛隆澄氏
常務:中溝一紀氏
監査役:冨田義昭
社外監査役:田中三四郎氏(アド・バイオ社長)、赤司修一氏(弁護士)
参考:http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2015/050.pdf
未亡人が社長に
さらに、翌年の2016年(平成28年)には、未亡人が社長に就任した。
参考:http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2016/050.pdf
有宗良治氏の略歴
年月日 | 出来事 |
---|---|
1955年 (昭和30年) 4月14日 | 生まれる |
1974年 (昭和49年) 3月 | 大阪府立東住吉高校 卒業 |
1978年 (昭和53年) 3月 | 関西大学法学部 卒業 |
1977年 (昭和53年) 4月 | 大和証券(株)入社 |
1987年 (昭和62年) 10月 | シュローダー証券(株)入社 |
1993年 (平成5年) 1月 | スイス銀証券(株)入社 |
1995年 (平成7年) 10月 | クレスベール証券(株)入社 |
1999年 (平成11年) 11月 | エヌシーエス証券(株)入社 |
2000年 (平成12年) 4月 | 三洋投信委託(株)入社 |
2002年 (平成14年) 7月 | イビサ証券(株)入社 |
2003年 (平成15年) 3月 | TFG証券(株)入社 |
2004年 (平成16年) 4月 | インター・ベンチャートラスト(株)入社 |
2005年 (平成17年) 3月 | フジフューチャーズ取締役 |
2005年 (平成17年) 6月 | フジフューチャーズ常務取締役 |
2007年 (平成19年) 6月 | フジフューチャーズ専務取締役・社長室長 |
2009年 (平成21年) 6月30日 | 取締役を退任し、執行役員に就任(第47回定時株主総会) |
2012年 (平成24年) 7月 | フジフューチャーズ社長(代表取締役) |
2016年 (平成28年) 7月 | 金融庁に金融商品取引業者として登録(株式会社ストックジャパン) |
2018年 (平成30年) 1月 | 株式会社ストックジャパン社長就任 |
出典:https://xn--cck2b4ab6a5ec4139ds7f3z9ahn5guegnz4b.com/#arimune
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寺町博氏とは
寺町博氏とは、20世紀の大発明家で、日本を代表するカリスマ起業家であった。
THK
街のゲームセンターで「UFOキャッチャー」に興じたことのある人は少なくあるまい。だが、視線を上に向けてキャッチャー部分を前後左右に動かす部品に目を留めたことのある人はどれほどいるだろうか。
そこには恐らく「THK」という文字が刻まれているはずだ。
このTHKの創業者こそ、寺町博氏である。
直動システム(リニア・システム)
機械を前後左右に滑らかに正確に動かすこの部品を「直動システム(リニア・システム)」という。
THK製の直動システムは様々な工場で重要な役割を果たしている。半導体、自動車の組み立てラインから、病院にある「CTスキャン」まで。
世界シェア1位
直線に動く機械にはほぼこの部品が使われている。そして直動システムで、国内シェア約70%、世界シェア約60%を握るのがTHKだった。世界シェアナンバーワン企業だったのだ。
寺町博氏は、THKと同じ軸受け大手・日本トムソンの創業者でもあった。2つの会社を起こしたことからも分かるように、寺町氏は超一流の技術者だった。アイデアマンでもあった。
バブルに踊った
寺町博氏は同時に、株式や商品先物などの世界でも名を知られた人物でもあった。伝説の相場師と呼ばれた。
寺町博氏は、バブルに踊った。舞台は株式市場をはじめとする相場の世界である。
事実、日本トムソンでも、商品先物に手を出した。そして、その失敗の責任を問われる形で退任を余儀なくされた。そして、THKでも同じ事件を起こしてしまった。
株式投資で480億の喪失
寺町博氏は1980年代のバブル期、株式投資や商品先物などに手を出した。その多くは寺町氏個人の資産で行われたものだった。しかし、株式投資には会社の資金が使われた。
確かにこの株式投資は一時期、会社の利益になった。最盛期には250億円もの運用枠が設定された。
一時は多額の含み益
1989年3月期には保有有価証券は約79億円もの利益を出した。だがそれもつかの間、バブル崩壊によって、その莫大な保有株がTHKの重荷になった。
バブル崩壊以降の1991年3月期から1999年3月期までの期間にわたる保有有価証券の損失処理は、累計で約480億円にも及んだ。
借金が膨らむ
当然借金は膨らんだ。THKの年間売上高は500億~600億円規模だった。有利子負債は、ピーク時には1000億円を超えた。
こうした中、寺町博氏は退任に追い込まれた。そして、1997年1月、長男で副社長だった寺町彰博氏が社長に就任した。
カリスマから実務家へ
以降、博氏は会社経営に一切タッチしなかった。後継者となった寺町彰博氏は、「カリスマ」創業者だった父親とは違い実務家肌の人物だった。博氏への尊敬の念は変わらないとはいえ、そのマイナス面もじっくりと見てきた。
寺町博氏は、2004年にフジフューチャーズの社長に
寺町博氏は、2004年にフジフューチャーズの社長に就任した。寺町博氏は、1990年代前半ごろには、フジフューチャーズを買収し、オーナーになっていた。
参考:https://www.best-business.jp/tokyo-rakusyokai/contents1x14.html
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